海外を転戦するからこそ見える
“心のバリアフリー”の重要性

チェアスキーヤーたちは、一般のアルペンスキー選手と同様、ワールドカップに参戦するため、世界を転戦する。小学生の頃からチェアスキーに乗り、中学2年生から本格的に競技生活をスタートさせた村岡桃佳選手も例外ではない。合宿などの雪上トレーニングを含めると、実に一年の約半分を海外で過ごす。アメリカ、チリ、スイス、オーストリア、そしてパラリンピックが開催されたロシア……。これまで赴いた国は10ヵ国を優に超えた。

そんな村岡選手が帰国すると戸惑うことがある。街を行き交う人とのコミュニケーションが図りにくいのだ。たとえば道にある段差を乗り越えられず、スムーズに進めなかったり、ショッピング中に高い位置にあるものが取れなかったり。近くにいる誰かがほんの少し手を貸せば、不便なく過ごせるのだが……。

「『困ってそうだな』と気づいてくれる方はいます。でも、見て見ぬふりをされることが多いのが現実です」

そもそも無意識で行っていることがバリアになってしまっていることもある。

「歩道に自転車が停めてあったり、何人かの方が横に広がって歩いていると、その分歩道の幅が狭くなり、車いすは進みづらくなります」

段差のあるなしといったハード面の話ではない。これは一人ひとりの意識の問題だ。もちろん、ハードを整えることは大切だ。しかし同時に、それを使う側の意識も向上=ソフト面の向上も求められるということだろう。

ハードとソフトのバランスの大切さは、早稲田大学スキー部の部員たちと送る寮生活でも感じてきた。村岡選手の入部をきっかけに、寮自体はドアを拡幅したり細かい段差を解消したり、スロープを設置するなど、ユニバーサル仕様に改修された。村岡選手も入寮前に実際にチェックし、万全を期したという。それでも、不安は残った。障がいについてさほど知らないであろう同世代の部員たちと生活していけるのか、確信が持てなかったのだ。
「後で知ったのですが、それは部員たちも同じことだったようです。初めは私とどう接していいか、距離を測りかねていたそうです」

しかし、共に暮らすうちに自然とお互いの距離も縮まり、部員たちは手伝うべきシーンで自然とサポートし、村岡選手もこうしたい、こうしてほしいという要望を遠慮せずに伝えられるようになり、今では「まったく不便はない」という。
村岡選手の友人たちは、村岡選手と接することで自然と障がいへの理解を深め、さらに広がりも見せるようになっている。

「私と接するようになってから自然と周りの人に手助けができるようになったと言ってくれました。そういう話を聞くと、心底うれしいですね」

一方で、きゅっと表情を引き締め、実感を込めてこうも訴える。

「障がい者は特別な存在ではありません。考えていることは皆さんと同じです。まだまだ『かわいそう』『大変そう』というイメージを持っている方が多いかもしれませんが、そんなことはない。私たちは皆さんと同じように扱ってほしいと思っています」

3年後の夏、東京には世界最大の祭典がやってくる。多くの人を迎え入れるためにさらなるバリアフリー化が求められる日本において、障がい者だから、車いすだからと構えることなく、道に迷っている人に気軽に声をかけて案内するようなスマートなサポートをしてもらえたら、東京はもっといい街になる。そう村岡選手は考えている。そして、パラリンピアンだからこそ、友人たちの意識や行動を変えたのと同じようなきっかけ作りを、自身の活躍をもって発信することができる。現在、早稲田大学で学びながら平昌(ピョンチャン)に向けトレーニングに励む村岡選手の存在は、社会を変える意味でも大きな可能性を秘めている。

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