黒部峡谷は黒薙温泉や鐘釣温泉など、
いくつも温泉が点在する全国でも人気の温泉スポット。
ただし、この温泉地は黒部峡谷鉄道のトロッコ列車でしか
行くことができない、まさに秘峡の温泉地なのだ。
元々は資源の輸送を目的として作られた鉄道。
全長20.1km、片道1時間20分におよぶトロッコ列車の旅は
温泉街の散策とは一線を画す
大自然を味わう感覚に近いという。
Text:Ryo Kawakami(YAMAKO)
Photo:Masahiro Kojima
始発の宇奈月駅。駅前には噴水のように湧き出る温泉があり、まさに湯けむり旅といった雰囲気だ。トロッコ列車には開放的な窓無しの普通車両と、窓有りの特別車両、さらにリラックス車両とがある。直前まで降っていた雨があがる幸運にも見舞われたので、せっかくなので窓無し車両でその景観を存分に楽しむことにしよう。11時6分、車掌の笛とともにトロッコ列車はゆっくりと動き出した。

温泉街を抜けると一際大きな宇奈月駅が見えてくる。

トロッコ列車の出発を今か今かと、待ちわびて乗車。気分も高揚してくる。


列車の音が山彦となって温泉街に響くことから「山彦橋」と呼ばれるようになった。
トロッコ列車は序盤からダイナミックな景色で始まった。かつてトロッコ列車の軌道だった旧山彦橋を、平行する新山彦橋から眺めるという贅沢な景観。思わずカメラを向けると、今度は反対側に宇奈月湖が広がる峡谷風景が姿を現した。次から次へと変わる景色に思わず笑みがこぼれる。しばらく進むと復路からすれ違う乗客と手を振り合ったりと、美しい景色もさることながら、人と人をも繫ぐのが黒部峡谷のトロッコなのだ。

線路は1つのため、すれ違う列車と待ち合わせることがある。
トンネルは長いもので抜けるまで3分もかかる。しかしその景観を遮断された暗い時間が、抜けたときの感動を何倍にもしてくれる。そして黒部峡谷もそんな期待に毎回応えてくれるのだ。深く切れ込む険しい谷に架かる青い「後曳橋」、野生の猿のために架けられた「猿専用吊橋」、高さ220mもの「ねずみ返しの岩壁」など見どころが続いていく。トンネルに入るたびに次はどんな景色だろうと、想像せずにはいられないのだ。
トンネルを抜けると新しい景色が待っている。


高さ60m・長さ64mの沿線で最も峻険な谷に架かる後曳橋。
終点の欅平駅に到着。まずは川沿いに設けられた足湯へ向かった。祖母谷温泉の硫黄の香りと白い濁り湯が特徴の足湯だ。ここをおススメしたい理由に、目の前を流れる「黒部川」と足湯から見上げる真っ赤な「奥鐘橋」の絶景がある。トロッコ列車はトンネル移動中は少し肌寒かったが、下車してすぐの足湯と景色に身も心も温まっていった。

美しい峡谷を眺めながら祖母谷温泉の足湯に気軽に浸かることができる。

これから散策する人やトロッコ列車に戻る人たちの休憩所だ。


温まった足を軽快に散策路を進んでいくと、大きな岩壁がえぐられたような奇岩が姿を見せる。「人喰岩」だ。その名の通り歩く人を飲み込むように見えることからその名がついた。ここを通ると黒部川の濁流音が反射して、頭上の岩が凄まじい川の轟音を響かせる。まるですぐ岩の上を川が流れているような感覚だ。

峡谷を流れる川の音が、トンネル内にかすかに聞こえてくる。もうすぐ出口のようだ。

野生のニホンザルが生息。トロッコの線路沿いにも出没する。

太陽と豊かな水によって、活き活きとした緑が随所に見られる。
途中トンネルを進むと姿を現したのは、峡谷に生息する野生のニホンザルだった。親子猿など5~6匹はいるだろうか。少し警戒しながら木の陰から我々を見つめている。黒部峡谷は発電所の建設が進む一方で、猿専用の道を作るなど、動物たちの暮らしを守るため様々な工夫がされているという。そうした取り組みが現在も共存できている所以なのだろう。
この欅平駅からの散策路の先には秘湯・祖母谷温泉がある。今回はその温泉を味わえる名剣温泉へお邪魔した。宿泊や休憩ができる小さな旅館だが、もちろん日帰り入浴もできるのだ。峡谷の木々に囲まれ、眼下に黒部川が広がる絶好のロケーション。うっとり景色を眺めているとついつい長湯してしまいそうだ。これからの季節は赤く色付いた峡谷が、湯浴みを一層味わい深いものにしてくれるだろう。

白や黒の細かい湯の花が舞い、硫黄の香りも。

景色を眺めながら散策の疲れを癒せば、黒部峡谷と一体になった気分を味わえる。

切り立った山々に囲まれた黒部の秘湯だ。


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懐かしい改札鋏を使って切符を切ってくれる。
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中世ヨーロッパの古城のような新柳河原発電所。
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欅平の食事処では富山のブラックラーメンも。
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奥鐘橋からの眺めは圧巻。大自然の力を感じられる。
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地震では落石の注意もあるそうだ。まさに秘峡である。
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山小屋のような名剣温泉。散策の休憩に。
昨今、日本の世界遺産登録は注目を集めているが
今から20年前、日本の世界遺産はわずか6つだった。
そのうちのひとつが、この五箇山・白川郷の合掌造り集落。
早くから文化や情緒が世界的に評価され
幾多の観光客を魅了してきた。
そんな世界遺産に泊まることができるという。
五箇山の歴史と共に佇む、合掌造りで過ごす一夜とは
果たしてどんなものなのだろうか。
Text:Ryo Kawakami(YAMAKO)
Photo:Masahiro Kojima
富山きときと空港から北陸自動車道を南西に60km、五箇山ICを降りてしばらく進むと、これまでも十分のどかだった風景がそれほどでもないと感じるほどの、飛び抜けた田舎風景が現れる。五箇山相倉集落だ。昔話に出てくるような風景は、まるで当時にタイムスリップしたかと錯覚するほど、見事に昔の佇まいを保っている。

集落を一望できる高台への道。田舎風景を楽しめる。

一本の道を中心に、左右に20戸もの合掌造りが広がっている。


屋根は雪が滑り落ちやすい角度で計算されていて、古いものは築400年を超えるものもある。
合掌造りはここ富山の五箇山と岐阜の白川郷があるが、より田舎らしい風景は五箇山だろう。観光地化した店も少なく、観光客でごった返すこともない。ひっそりとしていて、ただその合掌造りの存在感に圧倒されるばかりだ。白川郷との違いはいくつかあるが、なかでも注目すべきは60度という急勾配の屋根にある。これは豪雪地のなかで先人たちが辿り着いた知恵の形なのである。

コスモスやそばの花など、風景に溶け込んだ彩りもある。
意外にも合掌造りを見学できる施設は多い。内部の造りは実に力強く、釘は一切使わず縄とネソと呼ばれるマンサクの木を用いて造られたという。雪深い環境に耐えられる強固な組み立ての技術だが、2階には養蚕作業場があるなど、生活と生業の場を兼ねた合理的な建築であることがわかる。その技術に頭が下がる思いだ。

梁の木の黒褐色は、一階の囲炉裏によって長年燻されたもの。

天井の梁は人工的に曲げたのではなく、元々木の根が曲がったものを使っている。
集落には実際に生活をされている人もいる。彼らにとっては世界遺産を守るという責務が日常のこと。たとえばこの日も屋根の葺き替えが行われていたが、こういったメンテナンスは15~20年の周期で定期的に行うのだ。もちろん一度にすべて葺き替えることはできないため、何回にも分けて行うという。故に住民からは合掌造りへの愛着が深いという声も多い。生活感が感じられるのも五箇山の魅力なのだ。

葺き替えの作業。合掌造りを守るため昔ながらの知恵と技術を受け継いでいく。


我々が宿泊するのは集落の中でも最も大きい民宿“勇助”だ。玄関を開けると女将さんが明るい声で迎えてくれた。それと同時に目に飛び込んできたのは大きな囲炉裏の間だった。25、6帖はあるだろうか。「お腹空いたでしょう」と早速岩魚を囲炉裏で焼いてくれた。絵に描いたような光景に、自らが世界遺産の登場人物になった気分だ。

囲炉裏で焼く岩魚。じっくりと頃合いを見極めるのも楽しみのひとつ。

香りの高い赤紫蘇の天ぷら。

地元の食材を使った田舎料理。
地元の食材を使った料理の数々。五箇山豆腐や茗荷のみそ漬けなど、どれも田舎暮らしを思わせるものばかり。決して派手ではないが、囲炉裏を囲んで食べる素朴で温かい食事はこの旅の醍醐味と言えるだろう。五箇山の地酒「三笑楽」にすっかり酔わされ、語らいの夜は続いていく。

ご主人と女将さんは「こきりこ唄」を聴かせてくれた。古くから五箇山に語り継がれる民謡だ。「ささら」というジャバラ状の独特な楽器を巧みに鳴らしながら、どこか懐かしい歌声を響かせる。せっかくなので我々もささらを鳴らさせてもらった。手首のスナップを利かせて左右交互にリズミカルに動かしていくのだが、実に気持ちのいい音と感触だ。心地よい秋の虫の音とともに、五箇山の夜は更けていった。
一層静まり返る夜の集落。障子灯りが昼とは違った美しさ。


近年では学校の音楽教科書にも掲載されているという「こきりこ唄」。民謡の宝庫といわれる五箇山を、ご主人は自慢げに語ってくれた。


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「五箇山和紙の里」では手漉き和紙作りが体験できる。
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繊細且つ、可愛らしい五箇山のイラストの作業。
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すだれ越しに見る五箇山の風景。
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“勇助”の2階には五箇山の歴史の展示スペースが。
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縄でしばっても崩れない「五箇山豆腐」
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相倉集落内にある茶店“まつや”の「五箇山そば」

