アスリートだからこそ、頂点を見てみたい
苦しみながらつかんだ世界再挑戦への糸口

 今年1月から日本ゴルフツアーを主戦場としているプロゴルファーの石川遼選手。2013年から昨年までの5年にわたりプロゴルフ界最高峰のPGAツアー(米国)に挑戦し続けてきたが、実は2018年も米国で戦うつもりで、試合の際に宿泊するホテルの手配も済ませていたという。しかし昨年12月の半ば、ひとりで練習中にふと、日本に帰ろうと思ったと明かす。

「米国では毎週のようにあるツアーの予選に通過するために、短期的な調整を繰り返さざるを得ませんでした。でも、このままではプロゴルファーとしての未来はないなとも思っていました。では、長期的なスパンで自分のゴルフと向き合うために、26歳の今、なにをすべきか。そう考え続けて自然と出てきた答えが、日本に戻るということでした」

撤退を決めるのは、簡単なことではない。それだけに、ご家族や周囲のスタッフと長期間話し合った末の決断だったのではと思うかもしれない。しかし、「家族にも周りのスタッフにも相談していません」という。それほど、石川選手にとってこの時期に帰国することは自然な帰結だったのだ。

では、石川選手は米国でどんな経験をしたのだろうか。そもそも石川選手は、わずか16歳でプロゴルファーとなって以来、史上最年少1億円プレーヤー、史上最年少賞金王、世界最少ストロークなど数々の記録を打ち立て、日本のプロゴルフ史を塗り替えてきた。その実績を背景に、世界最高峰の舞台で力を試すべく20歳で海を渡ったのだが、すぐに世界の壁が目の前に立ちはだかった。

「当時、僕がいちばん自信を持っていたのは、遠くにボールを飛ばすドライバーショットです。実際、日本では5本の指に入るぐらいの飛距離を出していました。ところが、米国ではみな自分より明らかに遠くに、しかも正確に飛ばしていたんです。これは衝撃的でした」

石川選手の代名詞とまで言われたドライバーショットの飛距離は、米国では平均レベルだった。飛距離は当然、体格なども関係してくる。そのため、欧米人と日本人との飛距離にある程度の差が生じるのは仕方がないことのようにも思える。しかし、石川選手は「自分に限界を設けたくなかった」と語る。体格差は関係ない。飛ばないのは打ち方が悪いからだ。スウィングを改善すれば飛距離はまだ伸ばせる――。そう考えた石川選手は、より遠くに飛ばすためのスウィングを求めて、試行錯誤を重ねた。しかし、結果は出なかった。

「どんなに打ち方を変えてみても、伸ばせた飛距離は数ヤードでした。しかも、もともと曲がりやすかった打球がさらに曲がるようになってしまった上に、腰まで痛めてしまって……。我ながら、かなり無理をしたと思います。本当に苦しかったです」

たしかにドライバーショットの飛距離は、思うようには伸ばせなかった。では、まったく歯が立たなかったのかというと、そうではない。苦手としていたアプローチショットでは、練習を重ねた結果、「100ヤード以内の正確性」部門で1位、「125ヤードの正確性」部門でも3位となった。

「自分が苦手だと思っていたものが、実は武器になりそうだと分かったことは自信になりました」

ここでもう一つ、気づけたことがある。「日本では必要性を感じなかった」ゆえに磨かずに来たドライバーショットの正確性の大切さだ。

「ドライバーショットに関しては、飛距離のことばかりを考えてきましたが、打球が曲がらないようになればもっと上位を狙えるのではないか。そう具体的にイメージできたのは大きかったです」

進むべき方向性は見えた。そして、ドライバーショットの改革に取り組むという強い覚悟をもって帰国した。

「アスリートであるからには、いつか世界の頂点に立って、まだ見たことのない景色をこの目で見たいと強く思っています。そのためにも、成果が出るまでは、日本でひたすら厳しい練習を積むだけです。そしてその成果が出たときこそが、再び世界に挑戦するときだと思っています」

世界で頂点に立つために必要なことは「結果を恐れないこと」と語る石川選手。冷静にリスクを見極めつつ、自分にとっての「最高」を更新すべくチャレンジし続ける姿勢が、石川選手を一歩、また一歩と前進させる。

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