アスリート魂に火を点けた敗戦

野球チームを卒部後、梶原選手がパラスポーツに触れる機会が訪れる。ソーシャルワーカーのすすめで、福岡県のスポーツ大会に参加したのだ。

「パラスポーツを見たのも体験したのも、そのときが初めてです。大会では、いろいろな障がいの方がそれぞれのやり方でパラスポーツに取り組んでいて、驚いたことを覚えています。お世話になった方へ元気な姿をお見せすることで恩返しをしたいと考えていたので、高校に入ったら僕も新たなチャレンジとして、パラスポーツを始めてみようかなという気持ちになりました」

そして高校入学後すぐ、ソーシャルワーカーからパラスポーツをいくつか紹介してもらった。その中から選んだのが、パラバドミントンだ。ラケットを頭上で振る動作が野球の投球と似ており、野球経験が一番活かせそうだと思ったという。早速、地元のパラバドミントンチーム「TEAM SHUTTLE-ONE」の練習見学に訪れた梶原選手は、そこで驚きの光景を目にする。

「まず競技用車いすを見たのが初めてで、その形や作りにびっくりしました。車いすバドミントンはコート内を前後に動きまくるのですが、その動き自体、日常生活ではあり得ない上に、スピードもものすごく速い。衝撃的でした」

これだと思った梶原選手はすぐに入会し、練習に参加し始めた。しかし、最初はかなり苦戦したという。

「なんなんだ、これは!という感じ。難しいとかいうレベルじゃなかったです。それをチームの人たちは楽々とこなしていて、とても同じ人間とは思えませんでした(笑)。そもそも趣味程度でと思っていたこともあり、練習中に、きついなあなんて考えていたこともありました」

そんな調子だったので、競技を始めて4か月後に臨んだ初試合も散々だったと苦笑いする。ここで「負けた、残念」で終わっていたら、今の梶原選手はいなかったかもしれない。しかし、この敗戦で梶原選手のアスリート魂に火が点いた。

「文字通り、手も足も出なくて悔しかったです。もっと練習して、とにかく勝ちたいと思いました」

これ以降、梶原選手は本格的に練習に打ち込むようになる。所属チームの練習は平日2回、1回につき3時間行われていたが、まずはその最初の1時間を使って、徹底的にチェアワークの習得に取り組んだ。

「特に最初の頃は、車いすを前後に漕ぐという基本操作もままならない状態でした。また、コート内ギリギリを狙って飛んでくる球を打ち返すためにはタイヤの向きや体の角度を細かく変えて対応する必要があるのですが、その動きができるようになるまでに時間がかかりました」

特に「車いすバスケットボールより回数が多いと思う」(梶原選手)という後ろ方向、いわゆるバックへの切り返しが難しく、感覚をつかむのに苦労したという。ラケットを持ちながら車いすの車輪を強く叩くように操作する右手の手のひらは、何度も皮がむけたが、チェアワークに1時間費やすことで、早くチェアワークを自分のものにできたのではないかと振り返る。

また、その頃から、健常のジュニア(小中学生)バドミントンチームの練習にも参加。

「車いすよりも速く動けるジュニア選手たちはラリーのテンポも速く、長く続くこともしばしばですし、ショットでエースを取るのもとても難しいんです。その分、ジュニア選手を相手に練習することで、チェアワークやショットのスキル向上に必要なものをたくさん得ることができました」

こうした努力が実り、同年末の日本選手権シングルス準優勝。2018年度から日本障がい者バドミントン連盟の次世代アスリートとなり、挑戦の場を国際舞台へと移すことになる。

画像:©2020一般社団法人日本障がい者バドミントン連盟

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