いざ、リベンジの舞台へ

そもそも、床姉妹はアイスホッケーの申し子と言っていい。父親の泰則氏は元日本代表DF、母親もテニスのインストラクターというスポーツ一家に生まれ、幼少期から高校卒業までを「氷都」と呼ばれるほどアイスホッケーが盛んな街・北海道釧路市で過ごした。アイスホッケーに出合ったのは、いわば必然だ。実際、姉は小学生以来アイスホッケー一筋。かたや妹は、水泳やバレーボールといった他のスポーツにも親しんだものの、最終的にはアイスホッケーを選んだ。

現在に至るまで二人がアイスホッケーに打ち込んで来られたのは、当然、家族のサポートも大きい。今度こそ、両親を笑顔に――その思いを胸に、床姉妹はトレーニングに打ち込んできた。日本代表チームは、ソチの雪辱を晴らそうと強化に取り組んできたが、とりわけ今シーズンは、合宿や遠征の回数を増やし、これまでにないほどハードなトレーニングを選手たちに課した。二人もさすがにきつかったとはいうものの、その分効果も実感できた、と表情は明るい。

「ウエイトトレーニングを重ねてパワーアップしたことが、得点力アップにつながりました。また、海外遠征を通じて、最後の瞬間まで粘れる体力は、私たちのほうが上という手ごたえを感じ、自信につながりました」(秦留可選手)

「アジリティ(敏捷さ)や、(限られたスペースで方向転換を行う)タイトターンに磨きがかかっていると思います。こうした細やかなプレーは、体格が小さめの私たちに明らかな分がありますね」(亜矢可選手)

「とにかく長かった」(秦留可選手)と言う今シーズンは、無事、平昌への切符をつかむとともに、冬季アジア大会や世界選手権(Div1-A/2部相当)でも全勝優勝を果たして終えることができた。

「前回の悔しさを思いっきりリンクにぶつけました。平昌への想いは、人一倍強いつもりです。最近では、睡眠中に見る夢のほとんどがアイスホッケーです。しかも、平昌かなと思うような試合でプレーしている場面が多いですね」(秦留可選手)

「やっとソチのリベンジへのスタートラインに立てて、ほっとしています。でも本当の勝負はこれからです。私の場合、妹のアドバイスを受けながら、得点にからむプレーに磨きをかけるべく挑戦中です。今度こそ二人で平昌のリンクに立つために、最後の最後まで努力を重ねて限界に挑み続け、レベルアップを図っていきます。より高い壁に挑戦するために努力し、また次の壁に挑む。この繰り返しは、まさにアイスホッケー人生そのものです」(亜矢可選手)

亜矢可選手のこの言葉には、重みがある。中学3年生でU-18日本代表に選ばれたほどの実力者ではあるが、その競技人生は決して順風満帆ではなかった。実は、高校1年時に甲状腺の病気であるバセドウ病*を発病。投薬治療を行いながら競技生活を続けたが、思うようなプレーができなくなり、泣く泣くU-18日本代表を辞退したのだ。
しかし、亜矢可選手はそこであきらめなかった。日本代表としてソチ大会に出たい。その一心で、体にメスを入れることを決断。首に痕が残ったものの、手術は無事成功。そこから死に物狂いで努力を重ね、約1年後の2013年2月、ソチ最終予選で念願のフル代表デビューを果たしたのだ。

いわばドン底を味わったからこそ、大好きなアイスホッケーに思いっきり打ち込める幸せを感じながら、姉妹で切磋琢磨してきた。

「DFである姉を頼りにしています。姉が後ろで守りを固めているという安心感があるからこそ、思い切り走り込んでシュートできるんです」(秦留可選手)

「身内だけに、つい厳しい目で妹のプレーを見てしまうのですが、攻撃力は妹の方が上です。攻撃力が課題の私に海外の一流選手のビデオを見せてくれたり、アドバイスをしてくれるのはありがたいですね」(亜矢可選手)

こうして高め合ってきたからこそ、どちらも欠けることなく、ここまで来られた。

「アイスホッケーがなくなったら、私たちには何も残らないでしょうね」(亜矢可選手)

ひたむきに、そして真摯に、努力と挑戦を重ね、アイスホッケーと向き合う日々。彼女たちの時間は、そして人生は、アイスホッケーを中心に回っている。

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