東京に生まれ、埼玉に育ちました。そのためか航空機を利用する機会がなく、はじめての空の旅は、高校時代の修学旅行でした。そのときの天候を、いまのように詳しく分析することはできませんが、当時の印象としては最悪の状態。搭乗する前から、そんな天候のなかを飛ぶことを不安に思い、実際に機内でも、かなり強い揺れを感じていました。そんなとき、機長からのアナウンスが客室内に流れたのです。落ち着いた声で、この先も強い揺れを感じることがあるけれど、運航の安全性にはまったく支障がないことを伝えるものでした。それを聞いて、私自身、落ち着いた気持ちになれましたし、機内もそれまでと比べて、平静さを取り戻したようです。おそらく私はそのときにはじめて、パイロットという仕事の存在に気づいたのだと思います。どんな人が、この大きな機体を操縦し、じぶんたちを目的地に連れていってくれるのだろうと、興味を抱いた瞬間でした。修学旅行から帰ってすぐに、どうしたらパイロットという仕事に就けるのかを、いろんな本を見て研究もしました。



大学時代は、ゴルフ部に所属し、ゴルフ中心の日々を送ってきたものですから、パイロットになるための特別な準備を重ねてきたわけでもありません。しかし就職を考えるときになって、その進路について自らに問いかけたときには、パイロット以外の選択肢は浮かばず、迷わずに選考に臨みました。ただ同期の声を聞くと、パイロットをめざしたきっかけはさまざまで、はじめからパイロットになりたいと強く思っていた者ばかりとは限らないようです。しかし共通しているのは、誰もが必ず、パイロットという仕事の魅力に取りつかれてしまうということです。ある者は上空から望む広大なパノラマに心奪われる瞬間を体験して、またある者は一人では到底クリアできそうにない試練を、同期との絆によって乗り越えたときに。みなさんにも、パイロットという選択が正しかったことを実感できるときが必ずやってくると思います。



副操縦士の資格を取得し乗務できるようになるまでには、厳しい訓練を乗り越える必要があります。しかしけっして、そこがゴールではありません。そこからすべてがはじまるといっていいでしょう。採用選考の時期に、新聞で引退を間近にひかえた機長のインタビュー記事を読んだのですが、そこには「40年この仕事を続けてきたけれど、じぶんに100点をあげられるフライトは一つもなかった」という内容のコメントが掲載されていました。当時は、その意味が十分に理解できていなかったかもしれませんが、深い感銘を受けたことを覚えています。確かに私たちの仕事には、これだけやれば大丈夫ということがありません。つねに上をめざしてチャレンジし続けることができる奥深い仕事なのです。私も、その機長のように、引退するその日まで、上を向き、成長し続けることができるよう、日々フライトをしていきたいと考えています。