AIRPLANE1964年2023/04/06更新

【ANAアーカイブス】
聖火を運んだ国産旅客機 YS-11オリンピア

1962年8月。残暑のきびしい名古屋空港で多くの関係者が見守る中、日本初の国産旅客機YS-11試作1号機は見事にテストフライトを成功させた。
双発機ながら4発機並みの乗客数を運ぶことができる上に、当時の地方空港の短い滑走路で発着できるという、外国製の機材にはなかった特徴を兼ねそなえていたYS-11。
当初はなかなか買い手がつかなかったが、全日空初代社長 美土路昌一はよい機材であると見込み、20機の大量購入を契約した。

1964年9月。全日空はYS-11の試作2号機をチャーターし、沖縄-鹿児島-宮崎-北海道と日本を縦断しながら東京オリンピックの聖火を輸送した。
全日空のYS-11にのみ「オリンピア」という愛称がつけられたのは、この聖火輸送が当時の日本人の心に深く印象づけられたからである。
それから57年後、全日空の飛行機は再び日本中に聖火を運ぶことになる。

国内はもちろん、後に世界各国へも輸出されるようになるほど活躍したYS-11は、ゼロから作られた国産第1号機としてはかなりの成功作であったと言われている。

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