本当のショパンを知るために、ワルシャワへ
一流のピアニストでありながら、クラシック音楽や演奏家の未来のための活動基盤として会社を設立するなど、今では実業家としての顔もあわせ持つ反田恭平さん。反田さんがショパン国際コンクールで2位を受賞するまでのワルシャワでの日々はどんなものだったのでしょう。
「僕はコンクールを視野に、2017年にワルシャワの国立フレデリック・ショパン音楽アカデミーに留学したのですが、その時、最初に先生の前で弾いたのがショパンのピアノ協奏曲でした。自分なりにはできていると思っていたのですが、『君のショパンは違う。ここで一から勉強しなさい』と言われたんです。本来はショックを受けるべきところですが、僕はすごく嬉しくて。これでやっと正しいショパンの音楽が学べるんだって思ったんです」
反田さんは当時の心境をそう話してくれました。
音楽の詩人ショパンを生んだ街、ワルシャワ
ポーランドの首都ワルシャワ。ここはフレデリック・ショパンとゆかりの深い街です。近郊には生家も残されています。20歳でこの地を離れ39歳で亡くなるまで、二度と戻ることのなかった、ショパンが愛する場所でもあります。
「この地に暮らしていると、どこにいてもショパンの足跡を辿ることができるんです。ショパン音楽アカデミーは旧ワルシャワ音楽院といって、その昔、ショパンが通っていた学校でもあります。また、ショパンが放課後にいつもオルガンを弾いていたという教会は僕の通学路にありました。そして音楽学校の隣にはショパン博物館があって、ショパンの自筆譜だけでなく、彼の手の模型やデスマスクも収められています。また聖十字架教会には今でもショパンの心臓が静かに眠っているのです」
せめて自分の心臓だけは祖国に還したいと願うほど、ショパンの祖国を思う気持ちは切実でした。この愛国心の強さはポーランドの人々に共通するものであり、旧市街にあるワルシャワ歴史地区がそのことを物語っていると反田さんは言います。
旧市街は第二次世界大戦でそのほとんどが瓦礫と化し、見る影もないほど荒れ果ててしまいました。しかしワルシャワ市民によって、17〜18世紀の街並みが「レンガのひび割れひとつに至るまで」と形容されるほど忠実に復元され、再建された市街としては初めて世界遺産に登録されたのです。ポーランドの人々の愛国心と執念が世界遺産として認められたと言っても決して言い過ぎではないでしょう。
ポーランド人の心を映し出すショパンの音楽
「僕の目から見るとポーランドの人たちは質素というか素朴で、そして勤勉。
そしてすごく尊敬できるのは、仲間思いで、いざ!となったときに一致団結して立ち上がれるところですね。当然、ショパンにも相通じるところがあります。ショパンは繊細な音楽を書いていますが、『英雄ポロネーズ』『革命のエチュード』がそうであるように、愛国心を持って立ち上がろうぞというようなポーランドの基本的精神を感じることができます。
少年期のショパンは身体が弱かったけれど、馬に乗って山を駆け巡るような活発な子どもでもあったわけです。美しいメロディの裏にある荒々しく力強い要素というのは、音楽家として大切にしたいところですね」
反田さんの目を通して見ると、他にもショパンの音楽からは祖国の影響を深く感じることがあると言います。例えば比較的、上下の動きの少ないメロディーもその一つなのだとか。
もともとポーランドは”平原”を意味する言葉ですが、どこまでも広がる平原、深い緑に包まれた森、そこを縫うように流れる川がポーランドの景観を形づくっており、そんな風景を思い浮かべながらショパンの音楽を聴くと、また違った感想が生まれてくるかもしれません。
後編ではショパンを感じられる風景やグルメをご案内いたします。
反田恭平がナビゲートするワルシャワ【空たびミュージック】後編はこちら
- 反田 恭平(ソリタ・キョウヘイ)
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2016年のデビュー以来、リサイタルやオーケストラのツアーなど国内外を巡り、2018年からは自身が創設したJapan National Orchestra(JNO)をプロデュースしている。JNOは2021年より株式会社として、またオンラインサロン「Solistiade」の運営も行うなど、クラシック業界の新しいあり方にも尽力している。2021年第18回ショパン国際ピアノコンクールでは日本では半世紀ぶりとなる最高位2位を受賞した。
ウェブサイト:Kyohei Sorita Official Site