昭和35年(1960年) |
5月 |
日本観光協会に入会 |
昭和35年(1960年) |
8月1日 |
バイカウント744、東京/札幌線に就航(国内初のターボプロップ機による運航) |
昭和35年(1960年) |
9月20日 |
定期航空PR誌「翼の王国」第1号発行 |
昭和35年(1960年) |
5月30日 |
三沢/函館線、運航開始 |
昭和36年(1961年) |
2月1日 |
鹿児島/那覇間定期航空運送事業が日本政府より免許される |
昭和36年(1961年) |
4月1日 |
長崎/熊本線、運航開始(DC-3使用) |
昭和36年(1961年) |
4月1日 |
貨物専用DC-3型2機(JA5080、JA5078)運航開始 |
昭和36年(1961年) |
7月10日 |
フレンドシップF-27、大阪/高知、大阪/宮崎/鹿児島線に就航開始 |
昭和36年(1961年) |
7月12日 |
バイカウント828が東京/札幌線に初就航(毎日2往復) |
昭和36年(1961年) |
8月1日 |
熊本/大分線、運航開始(DC-3使用) |
昭和36年(1961年) |
9月12日 |
東京/札幌間に夜間郵便貨物便が運航開始 |
昭和36年(1961年) |
9月15日 |
大阪/広島、広島/岩国線、運航開始 |
昭和36年(1961年) |
9月23日 |
鹿児島/那覇線、運航開始。初の海外就航開始(フレンドシップF-27使用、週2便) |
昭和36年(1961年) |
10月2日 |
株式市場に第2部が設置され東京と大阪に上場 |
昭和37年(1962年) |
4月1日 |
広島/北九州線、運航開始(DC-3使用) |
昭和37年(1962年) |
4月1日 |
大阪/熊本線、運航開始(F-27使用) |
昭和37年(1962年) |
4月1日 |
大阪/鹿児島線、運航開始(F-27使用) |
昭和37年(1962年) |
4月20日 |
東京/秋田線、運航開始(DC-3使用) |
昭和37年(1962年) |
5月1日 |
広島/大分線、運航開始(DC-3使用) |
昭和37年(1962年) |
10月14日 |
東京/岡山/広島線、運航開始(F-27使用) |
昭和37年(1962年) |
12月10日 |
東京/高松/松山線、運航開始(F-27使用) |
昭和38年(1963年) |
1月16日 |
東京/秋田間の速達航空便運航開始 |
昭和38年(1963年) |
2月11日 |
広島/北九州、広島/大分、松山/大分の3路線を東亜航空へ移譲 |
昭和38年(1963年) |
7月1日 |
ビームライン、東京/函館、東京/小松、東京/高松/松山、東京/宮崎/鹿児島の4路線運航開始(F-27使用) |
昭和38年(1963年) |
8月21日 |
東京/富山線、運航開始(F-27使用) |
昭和38年(1963年) |
9月1日 |
東京/広島線、運航開始(F-27使用、1日1往復) |
昭和38年(1963年) |
9月10日 |
バイカウント828にて世界最初のテレビサービス公開飛行実施 |
昭和38年(1963年) |
10月16日 |
福岡/鹿児島、福岡/宮崎、福岡/大村線を東亜航空に移譲 |
昭和38年(1963年) |
11月1日 |
藤田航空を吸収合併、資本金46億5千万円となる |
昭和39年(1964年) |
5月25日 |
B727、東京/札幌線に就航開始、全席座席指定制を実施 |
昭和39年(1964年) |
6月15日 |
大阪/広島、大阪/広島/岩国、大阪/米子線を東亜航空に、名古屋/金沢線を中日本航空に移譲 |
昭和39年(1964年) |
7月1日 |
東京/山形線、運航開始(F-27使用) |
昭和39年(1964年) |
7月1日 |
東京/熊本線、運航開始(F-27使用) |
昭和39年(1964年) |
7月1日 |
発券予約制度実施 |
昭和39年(1964年) |
9月9日 |
YS-11でオリンピック聖火リレー実施(沖縄→鹿児島→宮崎→千歳) |
昭和39年(1964年) |
9月30日 |
「赤い羽根、第1号」を各地へ輪送 |
昭和39年(1964年) |
10月1日 |
バイカウント828にて世界最初のテレビサービス公開飛行実施 |
昭和39年(1964年) |
10月1日 |
東京/鹿児島線、運航開始(F-27使用) |
昭和39年(1964年) |
11月1日 |
JCBとの間に信用販売契約を締結し、航空券の信用販売を開始 |
昭和39年(1964年) |
11月30日 |
コンベア440、定期路線より引退 |
昭和40年(1965年) |
2月1日 |
中日本航空の定期航空部門を吸収(名古屋/小松、名古屋/富山線) |
昭和40年(1965年) |
3月1日 |
大阪/福岡線、運航開始(バイカウント828使用) |
昭和40年(1965年) |
3月22日 |
鹿児島/奄美大島/那覇線、運航開始(F-27使用) |
昭和40年(1965年) |
4月1日 |
名古屋/富山線、運航開始(F27使用、1日1往復) |
昭和40年(1965年) |
4月10日 |
B727、東京/大阪線に就航 |
昭和40年(1965年) |
6月1日 |
名古屋/札幌線、アカシア便、運航開始(バイカウント828使用、1日1往復) |
昭和40年(1965年) |
8月23日 |
YS-11の愛称を「オリンピア」に決定 |
昭和40年(1965年) |
9月20日 |
YS-11「オリンピア」大阪/高知線に就航開始 |
昭和40年(1965年) |
9月30日 |
羽田のジェットハンガー「全日空、東京第1号格納庫」完成 |
昭和40年(1965年) |
10月1日 |
名古屋/宮崎線、運航開始(F-27使用、1日2往復) |
昭和40年(1965年) |
10月1日 |
大阪/長崎線、運航開始(F-27使用、1日1往復) |
昭和40年(1965年) |
10月1日 |
東京/大阪線、全便B727による完全ジェット化が実現 |
昭和40年(1965年) |
11月1日 |
東京/松山線、運航開始(F-27使用、1日1往復) |
昭和40年(1965年) |
11月1日 |
東京/高松線、運航開始(F-27使用、1日1往復) |
昭和41年(1966年) |
4月1日 |
日本ダイナースクラブと契約、航空券の信用販売を開始 |
昭和41年(1966年) |
7月1日 |
東京/大阪線の便名をすべて出発時刻の倍の数に変更 |
昭和41年(1966年) |
7月1日 |
東京/大阪線にスカイメイトを設定 |
昭和41年(1966年) |
7月1日 |
東京/福井線、運航開始(F-27使用、1日1往復) |
昭和41年(1966年) |
7月1日 |
東京/宇部線、運航開始(F-27使用、1日1往復) |
昭和41年(1966年) |
10月1日 |
名古屋/大分線、運航開始(F-27使用、1日1往復) |
昭和41年(1966年) |
10月1日 |
名古屋/高松線、運航開始(F-27使用、1日1往復) |
昭和41年(1966年) |
10月1日 |
高知/宮崎線、運航開始(バイカウント828使用、1日1往復) |
昭和41年(1966年) |
10月1日 |
小松/福井線、運航開始(F-27使用、毎日1復路) |
昭和41年(1966年) |
10月29日 |
夜間郵便専用便(郵政省とのチャーター契約)の運航を開始(東京/名古屋/大阪、大阪/福岡、バイカウント828使用) |
昭和41年(1966年) |
12月1日 |
宇部/北九州線運航開始(F-27使用、1日1往復) |
昭和42年(1967年) |
6月12日 |
小松/札幌線、運航開始(バイカウント828使用、1日1往復) |
昭和42年(1967年) |
7月1日 |
ジュニアパイロット制実施 |
昭和42年(1967年) |
8月1日 |
東京/鳥取線、運航開始(F-27使用) |
昭和42年(1967年) |
8月1日 |
鳥取/米子線、運航開始(F-27使用) |
昭和42年(1967年) |
12月1日 |
長崎航空の定期航空部門を継承 |
昭和42年(1967年) |
12月1日 |
長崎/福江線、運航開始(F-27使用) |
昭和42年(1967年) |
12月1日 |
福岡/壱岐線、運航開始(F-27使用) |
昭和43年(1968年) |
2月10日 |
営業部に国際航空準備室を設置 |
昭和43年(1968年) |
7月1日 |
大阪/那覇線、運航開始(バイカウント828使用、週1往復) |
昭和43年(1968年) |
7月1日 |
羽田、伊丹両空港にグランドホステス誕生 |
昭和44年(1969年) |
2月26日 |
大島/三宅島線、運航開始(F-27使用) |
昭和44年(1969年) |
3月1日 |
名古屋/南紀白浜線、運航開始(F-27使用) |
昭和44年(1969年) |
5月1日 |
大阪/鳥取線、運航開始(F-27使用、1日2往復) |
昭和44年(1969年) |
6月20日 |
B737、東京/大阪線(1日2往復)、大阪/福岡線(1日3往復)に就航開始 |
昭和44年(1969年) |
7月1日 |
大阪/札幌線、運航開始(B727使用、1日1往復) |
昭和44年(1969年) |
9月2日 |
全機種の機体塗装をモヒカンルックに決定 |
昭和44年(1969年) |
10月1日 |
B727-200型機、東京/大阪線に就航開始 |