ANAオフィシャルカレンダー「Welcome Aboard 2021」の
採用写真を紹介します!

ANAオフィシャルカレンダーWelcome AboardはANAが就航している国内外の土地の魅力を発信するANAオリジナルのカレンダーです。
2021年版の採用写真は、世界を旅する写真家の吉村和敏さんに撮影いただきました。
本ページでは、カレンダーに採用する12作品の紹介、写真選定の理由、そして、写真家吉村氏の撮影にまつわるエッセイの紹介をさせていただきます。

写真家紹介

カメラマン吉村和敏氏写真

吉村和敏 プロフィール
1967年、長野県生まれ。カナダ暮らしをきっかけに写真家としてデビューする。現在、東京を拠点に世界各国、国内各地を巡る旅を続けながら、意欲的な撮影活動を行っている。
2003年カナダメディア賞大賞受賞、2015年 東川賞特別作家賞受賞。写真集に『Du CANADA』(日経ナショナル ジオグラフィック社)『プリンス・エドワード島』『「スペインの最も美しい村」全踏破の旅』(講談社)、『BLUE MOMENT』『MAGIC HOUR』(小学館)、『RIVER』(信濃毎日新聞社)、『カルーセルエルドラド』(丸善出版)などがある。

カレンダー

1月

静岡市清水区から望む富士山
美しい朝の光に抱かれた1日のはじまり

1月DSCF1405 吉原地区より 静岡県静岡市 2020年2月 朝

いつかじっくり眺めてみたい、いつか山頂まで登ってみたい、いつか写真を撮ってみたい……そんないくつもの夢を抱かせてくれるのが富士山だと思う。

よく晴れた冬の昼下がり、静岡の茶畑で富士山と対面した。雪を抱くその凜としたたたずまいは、どこか誇らしげだ。大気が澄んでいるからだろう、蒼い空の中に、青いストライプを描く白い機体がはっきりと見える。きっと何人かの乗客が、機内の窓から富士山に視線を送っているに違いない。ときめきを共有していることが、なんだかとてもうれしかった。

翌朝、富士山の朝の表情をねらうため、絶景ポイントとして知られている清水区吉原に足を運んだ。AM4:00、闇の中で目を凝らすと、すでに何人もの写真愛好家がカメラを構えて待機しているのがわかる。私は空きスペースに三脚を立て、雲台にカメラをセットする。そのとき、レンズのキャップを落としてしまう。すぐに周りにいた人たちが、ペンライトを灯して一緒に探してくれた。「朝」というドラマが始まる前に繰り広げられたそんな些細なできごとに、フッと心が温かくなる。

AM5:12、東の空の闇がとけ、なだらかなカーブを描く富士山の稜線が現れた。上空には繊細な色彩を持つグラデーションが描かれていく。やがて、彼方からまぶしい朝日が顔を出した。その瞬間、山肌が赤く染まり、風で舞い上げられた雪が、勢いよく山の斜面を駆け上がっていった。

〈なんて神々しいのだろう……〉

朝日は急速な勢いで高度を増し、富士山と周辺の山々にまぶしい光を降り注いでいく。あたりに日中の明るさが広がるまで、私は同じ場所にたたずみ、カメラのシャッターを切り続けた。その間、たくさんの「朝」の作品を生み出したけれど、不思議と朝日が富士山を照らしたその一瞬の表情が、心に焼きついている。この国の本当の美しさは、いつも静寂の中に潜んでいる。そして旅人がそっと扉を開くとき、新しい感動と出会うことができるのだ。

私は、茶畑に延びる農道を西へ移動し、次の撮影ポイントへと向かった。なんとなく、今日はいい日になる予感がした。

2月

ピナクルズ(オーストラリア)
都市の楽園から、石灰岩柱が林立する砂漠地帯へ

2月DSCF3025 ピナクルズ

2019年9月に新規就航した直行便に乗って、オーストラリア西部の玄関口パース空港へ。パースは美しい街だった。中心部には近代的なオフィスビルが立ち並び車やバスが行き交っているが、不思議と都会の喧噪はあまり感じない。むしろ、のんびりとカフェで時を過ごす人、ジョギングを楽しんでいる人たちが主役になっているようだ。きっとこの街で暮らす誰の心にもゆとりがあるのだろう。まさに都市の楽園といった感じだ。

小高い丘の上にあるキングスパークを訪れてみた。見晴台から眺める整然としたダウンタウンの景観、清らかなスワン川の流れに心を打たれてしまう。咲き乱れるワイルドフラワーを楽しみ、ユーカリが生い茂る森を歩いて行くと、よく整備された公園に出た。噴水がある池で優雅に泳ぐ白鳥たちに気品を感じる。

パースから電車で30分ほどの所にあるフリーマントルも素敵な街だった。マーケットで露店巡りを楽しんだ後、インド洋に浮かぶロットネスト島に渡る。レンタルした自転車で、海沿いの小径を走っていく。碧く澄みきった海、白砂のビーチ、岩場でシュノーケリングを楽しむ人々……。木陰で休んでいると、「世界一幸せな動物」と呼ばれるクオッカが近づいてくる。なるほど、たしかに笑っている。

レンタカーを運転し、約200km先にあるピナクルズへ向かった。たまに、道路脇にチョコンと座っているカンガルーを見かける。車のスピードを緩めるとすぐに草原の中に逃げ込んでしまうので、どうしても写真を撮ることができない。

ナンバン国立公園に入ったが、岩群はどこにも見当たらなかった。案内所でパスを買い、地図をもらう。さらにその先にある潅木が茂るオフロードに車を乗り入れると、目の前にはアッと驚く世界が広がっていた。ゆるやかな起伏を持つ黄色い砂漠に、2~4mの奇妙な形をした岩が背比べのように屹立している。太古の昔、ここは海の底だったという。貝が堆積してできた石灰岩質の土台が陸地となり、原生林になる。そして気の遠くなるような年月をかけて大地が風化され、今のユニークな景観が形成されていったのだ。

それにしても暑い。ほかの観光客は記念写真を撮ったらすぐに車の中に戻ってしまったが、むしろ私は、日本では体験できないこのカラッとした暑さを心地よく感じた。澄みわたる青空に流れる白い雲を見つめていたら、オーストラリアの雄大な大陸に抱かれていることを実感した。

3月

アンテロープ・キャニオン(アメリカ)
大自然が生み出した幻想的な造形美

3月_MG_2994 アメリカ 2010年3月

一枚の風景写真に激しく心がときめくことがある。地球上にこんな場所が存在していたことに驚き、いつか自分の目で見て、写真を撮りたくなる。そこから「旅」という夢が芽生えていく。28年前、カナダの雑誌で目にした渓谷の写真に目が釘付けになった。まだインターネットがない時代。私はその年の手帳に、「Antelope Canyon」とだけ書き込んだ。

アリゾナ州ペイジにやってきた私は、すぐにアンテロープ・キャニオンへの行き方を調べた。どうやらこの渓谷は、ネイティブ・アメリカンのナバホ族居住区域内にあるため、旅人が勝手に立ち入ることはできないらしい。私はさっそくツアーに申し込んだ。

ナバホ族のおじさんが運転する大型のピックアップトラックが、砂埃を上げながら3月の乾いたクリークを突き進んでいく。気さくな彼は、この渓谷の成り立ちを大声でツアー客に説明している。どうやら、まれに砂漠に降るスコールによって発生する鉄砲水が、やわらかなサンドストーンを削ることによって生み出されるらしい。助手席に座る私のカメラに目を留めると、彼は言った。「30年前、この地の魅力を世界に広めてくれたのは写真家なのさ。あんたもいい作品をたくさん生み出すといい」

ピックアップトラックは巨大な岩壁の前で停まった。一か所、縦に裂けるような感じで細い口が開いている。足を踏み入れたとたん、私は目の前に広がる光景に思わず言葉を失った。オレンジ色の砂岩が幾重にも波のような曲線を描き、最深部に向かって細くうねる小径を作り出している。時折、雲の切れ間から神々しい太陽光が差し込み、薄暗い渓谷内をパッと明るく照らし出す。すると岩肌は陰影による光の変化によって表情を変え、オーロラが風に揺らぐような感じで私自身を包み込んでいく──。

優美な渓谷の姿に圧倒された。でも、それ以上に衝撃を受けたのは、この渓谷が、過去に見た「一枚の写真」から想像していた以上のすばらしさを持っていたことだ。

〈やはり「写真」は、「実物」を越えられないのだろうか……〉

でも「写真」は、多くの人に「旅」を喚起させることはできるだろう。私はふと、かつてカナダで暮らしていたときに心に描いた小さな夢を思い出した。そして次は私が伝える番だなと思いながら、カメラのシャッターを切り続けた。

4月

白石城(宮城)
復興の架け橋、東北で咲き誇る桜たち

4月DSCF5426 白石城

東北の桜をテーマにした旅は初めてだった。真っ先に訪れたのが白石市の高台にそびえ立つ白石城。仙台藩の南の要衝であり、関ヶ原の戦いの後、明治維新までの間、伊達家の重臣片倉氏の居城となった。明治7(1874)年に解体されたが、伊達政宗の片腕として名をはせた片倉小十郎景綱の偉業をしのび、平成7(1995)年、忠実に復元されたという。

大手二ノ門をくぐって敷地に入る。荘厳で美しい城のたたずまい、野づら積みで造られた石垣に心打たれる。益岡公園に咲き誇るソメイヨシノやシダレザクラが、そんな歴史の舞台に彩りを添えていた。

15kmほど北上し、白石川堤一目千本桜に行ってみる。雪を抱く蔵王連山を背景にした堤防に、ソメイヨシノ、シロヤマザクラなど1,200本以上もの桜が咲き誇り、目を見張るような美しさが広がっていた。朝、昼、夕と何度も花のトンネルを往復し、花たちが持つ繊細な表情を次々と切り取っていった。

旅の後半、美しさの余韻に浸りながらさらに北へ移動し、西行戻しの松公園、日和山公園を訪れる。この地の桜は少し早かったので、女川町のホテルに連泊し、桜の花が満開になるまで辛抱強く待つことにした。

2011年3月11日、私はノルウェーを旅していた。雪に覆われたフィヨルドにカメラを向けていたとき、日本から次々と送られてくるメールで震災の事実を知ったのだった。あの年も、桜たちは同じように花を咲かせたのだろうか。東北に滞在していると、なぜか、時の流れと季節の巡りを強く意識してしまう。2021年、震災から10年を迎える。

ある年、「東北・夢の桜街道」という復興支援プロジェクトを知った。日本で最も愛されている美しい「桜」を東北復興・再生のシンボルに掲げ、「桜の札所・八十八ヵ所」を選定し、観光振興による地域づくり運動を提唱・推進していく活動だ。

私は今回の春の旅で、これからも桜が咲く時期に東北地方を訪れ、写真を撮り続けていく思いを新たにした。まだ冷たい春空に、精一杯力強く花を咲かせる桜たちから、継続することの大切さを教えてもらった。

5月

神戸市から望む明石海峡大橋(兵庫)
異国情緒あふれる神戸から世界最大の吊橋へ

5月DSCF8254 明石海峡大橋

海外を巡る旅を続けていると、あらためて日本の街の景観に興味を抱いてしまう。日本古来の文化を継承しつつも、他国の文化を積極的に取り入れて街が生み出されていることに気づいてから、日本各地にある異文化にカメラを向けるようになった。国際貿易都市神戸は、私が求める被写体が山ほどある街だ。旅する前から気持ちが高ぶっていた。

まず訪れたのが、イギリス人技師によりコロニアル様式で建築された「英国館」。その後、ドイツ貿易商の邸宅「風見鶏の館」を訪れ、ニューヨーク5番街のようなレトロビルが立ち並ぶ「旧居留地」を歩き、カフェのテラス席でカプチーノを飲みながらイタリアの雰囲気を楽しむ。日本最古のモスク「神戸ムスリムモスク」、フランスヴェルサイユ宮殿の庭園をモデルに造成されたバラ園を有する「須磨離宮公園」にも行ってみる。

その後、南下して向かったのが東舞子町にある「孫文記念館」。八角三層の中国式楼閣はすばらしく、かつて建築物を撮影する仕事をしていた若いころを思い出し、カメラを向ける。でもそのとき私は、記念館の背後にそびえ立つ巨大な構造物にも目が釘付けになっていた。

明石海峡大橋──。全長3,911 m、中央支間1,991 m、明石海峡に架けられた世界最長の吊り橋だ。昭和63(1988)年に着工、阪神・淡路大震災に見舞われながらも、約10年の歳月を経て完成したことは知っていた。でも私自身、橋を目の前にするのはこれが初めてだ。想像をはるかに超える迫力に圧倒された。

橋の科学館で、構造や工法、先端技術などを詳しく知ることができた。そして今、培った技術と経験を、海外へ「輸出」する動きが始まっているという。また、この地を訪れる外国人がSNSで拡散した「巨大インフラ」を一目見ようと、たくさんの外国人がやってくる。関西は、2021年ワールドマスターズゲームの開催地ということもあり、かなりの盛り上がりを見せているのだ。そんな事実を知ったとき、この神戸という街で、また一つ新しいテーマが芽生えた気がした。

夕暮れどき、私は橋のたもとにたたずみ、暮れゆく瀬戸内海を眺めた。空が青く染まるころ、ライトアップされた明石海峡大橋が存在感を増していく。潮騒に耳を傾けながら、海上を移動する大型船と、上空を飛行する国際線の飛行機を眺めていたら、今すぐにでもまだ知らぬ国へ旅立ちたくなってきた。

※ワールドマスターズゲームは新型コロナウイルスの影響により、2022年に延期になりました。

6月

モンサンミッシェル(フランス)
大天使ミカエルのお告げで造られた孤島の修道院

6月_IGP1776 フランス モンサンミッシェル2008年6月

徐々に近づいてくるモンサンミッシェルを見つめながら、なぜこの世界遺産に強く惹かれるのかを考えていた。それはたぶん、この島が、空と海のキャンバスに囲まれているからだろう。朝、夕、夜、雨、霧、嵐……と幾重もの自然の表情を知る写真家は、モンサンミッシェルから無限の「作品」が生み出せることを簡単に予測できるのだ。

城壁の門をくぐって村内に入る。ノルマンディー地方特有の木組みの建物がせり出した細い路地には、土産物店やレストラン、カフェが軒を連ねている。私は、中世のころのにぎわいを想像しながら、ゆっくりと石畳の坂道を登っていった。

708年、司教オベールの夢に大天使ミカエルが現れ、島に礼拝堂を建立するように告げられたのがすべてのはじまりだという。966年、ノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を創設。その後、何度も増改築が繰り返され、13世紀に現在の形になる。要塞や監獄として使われた時代は荒れ果てていたが、ナポレオン3世の勅令で、現在の美しい姿を取り戻していった。

何段もの階段を上がった先に、モンサンミッシェル修道院があった。さっそく堂内に入ってみる。ゴシック、ロマネスク、ルネサンスと様々な建築様式が入り交じる独特の造りとなっている。付属教会や迎賓の間は、ステンドグラスから差し込むやわらかな光に包まれていた。

テラスから湾を見つめる。ちょうど干潮時と重なったので、水はきれいに姿を消していた。微かな蜃気楼が発生し、遠くの干潟を犬と一緒に散歩する人たちがユラユラと揺らいでいる。とても幻想的だ。

今日は朝から、数日この地に滞在するべきか、ずっと悩んでいた。でも私は、予定どおり次の目的地レンヌへ旅立つことに決めた。モンサンミッシェルが、夕陽に彩られ、満点の星が瞬き、まぶしい朝日に照らされる光と色のドラマは、またいつか来て撮ればいい。魅力的な地であえて「未練」を残すことが、次の旅へと繋がっていく。

立ち去る前、島を仰ぎ見て、歴史を積み重ねてきた建築物をストレートに切り取った。2021年、日本におけるフランス祭「ラ・セゾン」が大々的に開催される。青空の彼方に、日本とフランスの繋がりを見た気がした。

7月

白糸の滝(福岡)
歴史と文化、そして自然。多様性に満ちた九州を巡る

7月DSCF4942--福岡 糸島市-白糸の滝

九州佐賀国際空港に到着した私がまず向かったのが、川下りで有名な柳川だった。郷土の記録に残る暮らしの中の川遊びが、詩人・北原白秋の詩情に満ちた半生を描いた映画『からたちの花』のワンシーンとして使われたのがきっかけで、この地で本格的な「川下り」が始まったのだという。

柳の葉がキラキラ輝く水路で待機していると、どんこ舟が滑るように近づいてきた。竿ひとつで「ゆつら〜っと」舟を進める船頭さんの話や歌に耳を傾け、乗客たちは夏の午後のひとときを楽しんでいる。

次に、カルスト台地、平尾台へと移動した。開けた山の頂付近に、ピナクルと呼ばれる羊のような形をした石灰岩が無数に点在している。トレッキングコースを歩いていると、20代のころに暮らしていたカナダの大地を彷徨っているような懐かしい気分になっていった。近くにある千仏鍾乳洞もすばらしかった。貴重な鍾乳石が成長を続ける洞内には川が流れ、ピュアな水の中をジャブジャブと歩いていくことができる。まさに時間を忘れて夢中になれる天然のアトラクションだ。

その後、皿倉山の展望台から「100億ドルの夜景」と称される北九州の輝きを捉え、門司港では、「門司港駅」、「旧門司三井倶楽部」、「旧門司税関」など、明治・大正時代に海外交易の要衝としてにぎわった洋館にカメラを向けた。

旅の最後に訪れたのが、標高900m、羽金山の中腹にある白糸の滝だ。駐車場に車を停め、水音に導かれるように遊歩道を歩いていくと、涼しげな清流が目の前に現れた。

滝の周辺は、ヤマメ釣り、そうめん流しをする家族連れでにぎわっている。人が集う場所であるにもかかわらず、白糸の滝は、まるで大自然の中に忽然と現れたような太古のたたずまいを見せている。旅人が決まって訪れる九州各地の観光地とは違い、ここは地元で暮らす人たちの「とっておきの場所」なのかもしれない。不意にうれしさがこみ上げてきた。

私は、黒い岩肌を流れる絹のような水のヴェールをじっと見つめた。そして、九州各地の旅の思い出を心の中にそっと閉じ込めるような気持ちで、一枚の写真を撮った。

8月

利尻島・オタトマリ沼(北海道)
北緯45度、日本最北端にある二つの島の絶景を求めて

8月DSCF1431 利尻島 オタトマリ沼

高校3年の夏休み、初めての一人旅で巡った北海道。ノシャップ岬から海の向こうにそびえ立つ利尻島を眺めたとき、いつかまた北の大地を旅しようと心に誓った。

鴛泊は利尻島の玄関口となる小さな港町。子どもたちの元気な声が隅々まで響きわたるようなのどかさに満ちている。翌朝、早起きをして、海沿いに延びる108号線を南下した。左手には凪ぎの海が広がり、所々に三日月型の昆布漁船が浮かんでいる。

30分ほどでオタトマリ沼に到着した。沼浦湿原とアカエゾマツの原生林に囲まれたこの周囲1kmほどの湖は、利尻山を望むベストスポットとして知られ、観光客が必ず訪れる場所だ。

目の前には、まるで鏡のような静かな湖面が広がり、朝日に照らされた峻険な岩山がそのままの形で映し出されていた。早速、この神秘的な世界から作品を生み出そうとカメラを向ける。すると、葦の中から現れた水鳥の親子が、水面をまた別の美しさに変えてしまう。山の頂部分の映り込みは、まるで印象派の画家が描いた絵画のようだ。私はそんな自然との対話を楽しみながら、写真を撮り続けた。

数日後、もう一つの目的地、礼文島に渡った。8月の夏空は清く澄みわたり、心地よい海風が吹き抜けている。桃岩展望台に立ち、目の前に広がる景観と対面したとき、私は感動のあまり言葉を失った。垂直に切り立つ巨大な岩山の表面が一面草や潅木の緑に覆われ、そこに色とりどりの高山植物が咲き誇っていたからだ。まさに「花の浮島」と呼ぶに相応しい光景が広がっていた。

可憐な草花の写真を撮り、海鳥たちの鳴き声に耳を傾け、すれ違う旅人たちと会話を楽しみながら、岬の先端へと続くトレッキングコースを歩いていく。光も、風も、空も、雲も、そのすべてが完璧な美しさを放っていた。

途中、開けた場所から南の海へと視線を投げ、利尻島を眺めた。数日前、オタトマリ沼から眺めた利尻山が、今は蒼く輝く北国の海に抱かれている。高校生の頃、ノシャップ岬から眺めた利尻山の光景がふと脳裏によみがえる。30年以上の月日が流れ、ようやく訪れることができた利尻・礼文島。そのとき初めて、かつて心の中に描いた「いつか海の向こうにある二つの島を旅する」という夢が叶ったことに気づいたのだった。

9月

シェーンブルン宮殿(ウィーン/オーストリア)
中世の面影を残すウィーン、ハプスブルク家の離宮

9月-DSCF0657 オーストリア ウィーン シェーンブルン宮殿 2019年10月

2019年2月に直行便が新規就航したウィーン。かつてドナウ川をテーマに旅していたときに何度も訪れた街だ。旧市街へ向かうバスに揺られていたら不意に懐かしさが込み上げてきた。

ホテルに荷物を置いた後、街中に繰り出してみる。私は、異国の地に到着した直後の街歩きがたまらなく好きだ。なぜなら、日本からたった12時間足らずの移動で、目の前のすべての風景が一変し、まるでタイムスリップしたかのような感動を味わうことができるから。観光客や地元の人でにぎわうケルントナー通りを行くと、荘厳なシュテファン寺院の前に出た。王宮、スペイン乗馬学校、そして世界一美しい図書館と言われる国立図書館プルンクザール……。中世の雰囲気を色濃く残すこの街は、ただ歩いているだけで豪華絢爛な歴史の舞台に迷い込んでしまうようだ。

翌日、まずはオーストリアで最も人気のあるシェーンブルン宮殿へと向かった。16世紀、この一帯はハプスブルク家の狩猟場であった。皇帝マティアスによって「美しい泉」が発見され、これがシェーンブルンの由来になっている。17世紀末、神聖ローマ皇帝レオポルト1世は、この地にベルサイユ宮殿をしのぐ宮殿の建設を命じる。その後、この離宮を居城と定めた女帝マリア・テレジアの指示によって宮殿の大規模な増改築が行われ、今私たちが見ることのできる優美な宮殿が誕生したのだ。

内部に入り、華やかな大広間、鏡の間、当時の暮らしが垣間見える部屋を見学した。その後、花壇や植え込みが幾何学的に配された庭園を歩いていく。この宮殿には年間400万人以上もの観光客が訪れるという。この日もにぎわっていたが、敷地があまりに広大なので、喧噪を感じることはない。〈建造物の大きさを伝えるには、もっとたくさんの人が画面に入ってもいいのに……〉。そんなことを考えながらカメラのシャッターを切り続けた。

小高い丘の上に、回廊建築グロリエッテがあった。軍事的な記念碑として建てられたものだという。屋上から、庭園と宮殿、その背後に広がるウィーン市街を一望することができた。ところどころで歴史的建造物の修復工事が行われ、同時に新しいビルが建設される状況を見て、「ウィーンは古く、新しい都市」というキャッチコピーをふと思い出す。次は、もう一つの世界遺産ベルヴェデーレ宮殿を訪れてみようと思った。

10月

フマユーン廟(デリー/インド)
ANA就航25周年を迎えるデリーにある世界遺産

10月_MG_8161 インド-デリー-フマユーン廟 2017年7月

インド各地を旅するとき、首都デリーには必ず立ち寄るようにしている。近郊を含む都市圏の人口は約2,500万人以上、世界屈指の大都市圏を形成するこの街には、たくさんの魅力的な被写体が眠っているからだ。

この年、まず向かったのがオールドデリー。旧市街にそびえ立つ巨大なモスク、ジャマー・マスジット。その後、赤い城と呼ばれるラール・キラー、大理石の寺院バングラ・サヒーブ・グルドワーラーを訪れる。歴史的建造物はたしかにすばらしかったが、私が最も興奮したのは、バザール、チャンドニー・チョウクだった。食料品、衣類、金銀細工などありとあらゆる店がひしめき、車、牛車、牛、犬が行き交っている。リクシャーで細い路地を移動し、庶民の日常をカメラで記録した。

ガンジーの慰霊碑ラージ・ガート、戦争の記録を伝えるインド門を巡り、そしてフマユーン廟へ。16〜19世紀、北インドを支配したムガル帝国第2代皇帝フマユーンの霊廟で、中央にドームを頂いた左右対称の建築スタイルは、インドにおけるイスラーム建築の傑作と評されている。赤い砂岩と白大理石が織りなす美しい建物に見とれていると、突然雨雲が切れ、青空が顔を出した。急激に気温が上昇し、この国らしい湿り気を帯びた暑さになっていく。

7kmほど南下し、世界遺産クトゥブ・ミーナールへ行ってみる。奴隷王朝を樹立したクトゥブッディーン・アイバクが建てた塔で、高さは72.5m、この国でもっとも高い石造建造物として知られている。すぐ近くに、未完のミナレットであるアラーイーの塔やインド最古のモスクの遺跡があり、複雑に絡みあう歴史の一端を垣間見た気がした。

帰国便まで十分な時間があったので、デリー郊外の街グルガオンで過ごすことにした。かつては砂漠同然の街だったが、10年ほど前から急速に開発が進み、今では数々の欧米企業、日系企業が進出してオフィスを構え、インド有数の経済都市となっている。治安の心配をすることなく近代的な街中を歩き、ショッピングモールで普通に買い物をし、そして、レストランでは東京で暮らしているときと全く変わらない日本料理を食べる。この国が持つ多様性に驚くばかりだ。

「神々と信仰の国」と言われるインドを旅すると、またすぐにでもこの国に戻ってきたくなる。来年はムンバイから旅を始める。カッチ地方の手工芸の村々を訪れ、美しい民族衣装を生み出す刺繍職人をテーマに撮影を行うつもりだ。

11月

石鎚山麓(愛媛)
瀬戸内海の青い海に抱かれた隠れた紅葉の景勝地

11月_DSCF1036 愛媛-石鎚山付近

無数の島々が織りなす美しい瀬戸内海の景観に魅せられていると、NH531便は高度を下げ、高松空港に着陸した。その後、車とフェリーで移動を始めてからも、本当にこの地で色鮮やかな紅葉と出会えるのだろうか……と半信半疑の自分がいた。四国と紅葉が、どうしても結びつかなかったからだ。

小豆島の寒霞渓にやってきたとき、そんな不安は杞憂に終わった。渓谷を覆いつくすオオモミジ、ウリハカエデ、ニシキギが見事な原色に色づいていたからだ。特にロープウェイの到着駅からの眺めはすばらしかった。赤、黄、橙に色づく広葉樹が、数々の奇岩怪石を包み込み、海沿いの町のほうまで続いている。

高松市内へ移動し、国の特別名勝に指定されている栗林公園を訪れる。1630年代、当時の讃岐国領主・生駒家によって造園され、その後、初代高松藩主・松平家が5代100年あまりをかけて拡大、修築を重ねた由緒ある庭園。隣接する紫雲山の木々、庭園のタカオカエデが赤く色づき、まるで日本画のような美しい秋の姿を見せてくれた。

高松道を西へ向かい、国道319号線から富郷渓谷へと入っていく。新居浜別子山線(別子ライン)に差しかかると、ヘアピンカーブが続く本格的な山道となった。私の故郷長野県に引けを取らない険しい山岳地帯の景観に驚くばかり。完全に四国のイメージが覆されたことを知る。

そして向かったのが、西日本最高峰である石鎚山。主峰天狗岳からは、石鎚山系の山の連なりと瀬戸内海の島々、中国地方・九州地方の山々まで遠望できるという。黒瀬湖を過ぎたあたりから、山肌を覆うすべての広葉樹が彩りを増しはじめた。途中、加茂川に架かる橋の手前で車を停め、清流と紅葉が織りなす自然の表情にカメラを向ける。渓谷を流れる軽やかな水の音に耳を傾けていたら、不思議と心が研ぎ澄まされていった。

旅のクライマックスは松山だった。約50万人が暮らす四国最大のこの街は、路面電車がコトコト走り、どこかレトロな雰囲気をあわせ持つ。松山城の天守閣から街を俯瞰すると、遠くに瀬戸内海が広がっていた。そういえば、今回の四国を巡る旅では、見晴らしのいい場所に登るといつも海が見えていた気がする。秋色の中でひときわ映える青い世界。もしかしたらこれが、四国の秋を特徴づける景観になっているのかもしれなかった。

12月

ロックフェラー・センター(ニューヨーク/アメリカ)
ANA就航30周年を迎えるニューヨーク、聖なる光の旅

12月DSCF1473 NY-ロックフェラーセンター

5番街を歩いていくと、そのきらびやかな光は突然私の目に飛び込んできた。1年をかけて選び抜かれたモミの木は想像していた以上に大きく、スタイルもいい。赤、黄、青、緑のLEDがツリー全体にちりばめられ、透明な大気の中、宝石のような繊細で鋭い光を発している。何年も前からずっと憧れていたロックフェラー・センターのクリスマスツリー。その美しさは文字通り「世界一」であることを確信した。

ツリーの周りには、たくさんのニューヨーカーや観光客がいて、写真を撮ったり、会話をしたり、アイススケートをして楽しんでいた。ここでは、世界中の人々が、マンハッタンの景観に溶け込み、一つの世界を作り出している。その中央でひときわ輝き続けるクリスマスツリー。冬でも葉を落とさない常緑樹は、「永遠の命」「永遠の愛」だと教えてくれたカナダ人牧師の言葉をふと思い出す。

オフィスビルやレストランを彩るイルミネーションを楽しみながら、ブライアント・パーク、マディソン・スクエア・パークのクリスマスツリーにカメラを向ける。地下鉄に乗って南下し、証券取引所に行ってみた。人はまばらだが、ここのクリスマスツリーもすばらしい。カメラを向けていたら雪が舞ってきた。白い雪と青い光のワルツは、まるで童話の世界だ。日本からクリスマスを目的にこの街にやってきた日本人に、神様は粋なプレゼントをしてくれた。

翌日、ダイカーハイツに足を運んだ。ニューヨーク郊外にある閑静な住宅街は、近年、イルミネーションの飾り付けで注目されている。夕陽が沈むころに到着したら、誰一人としていなかった。しかし空が暗くなり、電飾が灯りはじめる時間帯になると、次々と人が集まってきた。19時を過ぎると辺り一帯はお祭り騒ぎだ。警官が出て交通整理を始めている。私は、家々を彩るきらびやかなイルミネーションの輝きよりも、いかにもアメリカらしいそんな雰囲気に面白さを感じていた。

クリスマス時期のニューヨークを旅してよかったと、心の底から思った。ソーホーのギャラリーはゆっくりと観てまわれるし、ロックフェラー・センターやエンパイヤ・ステート・ビルの展望台からの眺めも、大気が澄んでいるので、はるか彼方まではっきり見渡せる。真っ白な自由の女神像も、澄みきった青空によく映えていた。日中はそんな街の定番を心の底から楽しみ、夜は光の輝きにカメラを向ける。やはりニューヨークは、これから先も通うような感覚で旅していきたい。